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精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう



マックス・ウェーバーが記した
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
の末尾に示された言葉。


政治学者の姜尚中氏は、この言葉を自著で引用し、
「ものの意味を考えることをやめた人間の末路」
であると指摘した。


姜尚中著『悩む力』より


名誉の最後を戦場に遂ぐるを得ば、男子一生の快事



日本騎兵の父と呼ばれる秋山好古が、
後に海軍中将となった弟・真之に
宛てた手紙のなかで語った一節。


簡単な言葉だが、その決意の重さが伝わる一言。

司馬遼太郎著『坂の上の雲』第3巻より



あゝ おまへはなにをして来たのだと……吹き来る風が私に云ふ



中原中也の詩「帰郷」の一節。


苦しみ、もがいて生きる人間と、
常に変わらずそよぐ風。

その対比。

『中原中也詩集』より



武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これが人の世か。ならばわしはいやじゃ。わしだけはいやじゃ。




身体がでかいだけの「でくのぼう」だったことから、
部下の侍だけでなく、領民からも「のぼう様」と呼ばれた成田長親。

どんなときでもマイペースだった彼が、
天下統一を目前にした豊臣秀吉の大軍勢に喧嘩を売った理由がコレ。

その心中を作者は地の文で解説する。

「強き者が強きを呼んで果てしなく強さを増していく一方で、
 弱き者は際限なく虐げられ、踏みつけにされ、
 一片の誇りを持つことさえも許されない。
 小才の利く者だけがくるくると回る頭でうまく立ち回り、
 人がましい顔で幅をきかす。
 ならば、無能で、人が良く、愚直なだけが取り柄の者は、
 踏み台となったまま死ねということか」


自らは何も持たない長親だからこそわかる、弱者の痛みと怒り。

その優しき心は、当代随一の戦力でもついに破ることができなかった。

和田竜著『のぼうの城』より





哀れじゃないか。基準のない人間というのは。


しがないサラリーマンとして鬱屈した生活を続ける山本甲介は、
ひょんなことから拳銃を手に入れ、その人生が激変する。

上記はそんな彼に、定年間際の窓際族の一人である柴田が呟いた言葉。

柴田は、戦争で人を殺したことを悔いて自殺した
亡き兄の話を引き合いに出し、人を殺しても何も思わない人間が
いかに哀れむべき存在であるかを甲介に語る。

「そこには倫理も何もないわけだろ。倫理といっていいのか、
 とにかくいいこと、悪いことを判断するべき基準がない。
 本能のまま流されているだけじゃないか」

「哀れじゃないか。基準のない人間というのは。倫理も法律も届かないよね。
 たとえ死刑にしたところで、結局、その本人を罰したことにはならない。
 何にも届かないんだよ。人間が何千万年とかかって築き上げてきたことが
 何一つ、その人間には届かない。本当の暗闇の中にいるんだ。
 たった一人、でね。死刑なんて、肉体を滅ぼすだけだ。
 悔い改めない魂は真っ暗闇の中で孤立しているだけさ」



その声が、甲介の心を悔い改めさせることはなかった……。

鳴海章著『狼の血』より


わずかばかりの禄を食んで縛られてもつまらぬ



作家の伊藤桂一が『目白の鳴くとき』のなかで綴った言葉。


多勢がこの気概を持てば、わずかな禄で人を縛ることは誰にもできないはず。

しかし現実は、わずかばかりの欲のために、人はその尊厳を捨ててしまう。

秋庭道博著『疲れた心を和ませる言葉』より


実地を踏んで鍛え上げない人間は、木偶の坊と同なじ事だ



夏目漱石の『明暗』のなかにある一節。


それが今や、木偶の坊たちが肩で風を切って歩いている現実。

秋庭道博著『疲れた心をなごませる言葉』より

極道てえのは、まずやさしくなけりゃいけねえ。強くなくちゃならねえ。強くてやさしい男てえのはつまり、辛抱のきく男ってえことだ





桜会の盃を受けた若い衆・花沢繁に、
木戸仲蔵親分が贈った言葉。


男にとって一番大切なことは辛抱ができることなのである。

浅田次郎著『プリズンホテル4 春』より

左手が触れた堕落の毒は、右手に感染するでしょう。



ドイツの文学者・ノサックは、自分の意に添わない行いを
仕事と割り切ることに対して、こう戒めている。

たとえ金を稼ぐつもりのものは左手で書き、
自分にとって大事なものを右手で書いたとしても、
「しかし、その左手は同じ身体についているのです。
 左手が触れた堕落の毒は、右手に感染するでしょう」と。


仕事だから仕方ない、は大人の言いわけのように聞こえるが、
本当は自分の言動に責任を持てない子どもの愚痴でしかないのである。


H・E・ノサック著『文学という弱い立場』より


良い面を残そうとすれば、どうしたって悪い面も同時に残さざるをえないのである。




イタリアの思想家・マキアヴェッリ、かく語りき。

この後、「だからこそ、盛者必衰なのだろう」と続く。


美点と欠点は常にコインの裏表なのである。


塩野七生『マキアヴェッリ語録』より


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